13:1イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。 13:2イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」
石岩は信仰の立派な クリスチャンの事 砂の上に 家を建てず 岩の上に 家をたてた 人のこと その様な人が集まり
築かれた 大きな建物は 教会のことです。
その家がばらばらに 崩されてしまう と 言っているのです ですから 終末に 教会が背教や 惑わしのため 破壊される
と言っています。 以下を見ると
3:5そこで、イエスは話しはじめられた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 13:6多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って、多くの人を惑わすであろう。 13:7また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
13:14荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
最近の教会ムーブメントは全くその通りです この様な教理が出始めたと言うことは終わりが近いのかもしれません
ピーターワグナー第三の波の教理↓
1. 2段階にわたる再臨のうち、最初の再臨の時、イエスは見えない霊として来られ「勝利
者」のうちに「受肉」する。
2.この勝利者とは、今売り出し中の嘘つき預言者「ベニーヒン」を始めとする
怪しい使徒、預言者のこと。
3.これらの「使徒、預言者」には、キリストの権威があるので、彼らに
逆らう者は反キリストの霊にやられた反逆者。
4.これらの反逆者(聖書に忠実な人々)を「駆逐、削除」し、地を清めないと、キリストの
2段階目の「目に見える形での再臨はない」
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2 1コリント 5:10 それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。
3 1コリント 5:11 しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった
ここで言つているのは、世の中の不品行な人達と付き合うなというと、出ていかなければならない。と言っています。
しかし、教会やクリスチャンの中で、このような人たちは、いるのであれば、付き合うな 離れなさい、と言っているのです。ましてや牧師や聖職者の中でこのような人達がいるのであれば、そこから離れなさい といっています。
この裁くなという言葉は 言い逃れするために、用意しています。彼らは、この言葉を使うと、言い逃れができることを知っています。
また、彼らがいう事は自分たちは神に立てられた器であるから 神が私を裁かれるという言い訳を使います。あらかじめこのような。言葉を使うと、言い逃れができるというのがねらいです。
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マルコ 10:42 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
マルコ 10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
マルコ 10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
マルコ 10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
この聖句の中で、大切なのは、みんなは、偉くなりたい。ということを願いましたが、イエス様は、偉くなりたいものは、みんなに使へなさい。一番上になりたいものは、すべての人の僕になりなさい。と言われました。これは、自分を低くする。ということではないでしょうか。
しかしサタンは
イザヤ 14:14 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
といってます この性質は自分も誇らしげに神のように 偉い人になりたい。自分を高めたいと言っています。しかし、キリストは、大工のことして身分も低く、生まれてきました。これは何を指すのでしょうか。神の性質です・たかぶることなく、謙虚な性質です。私たちも、キリストに預かる者であるならば、このような。性格を受け継ぎたいものです。
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マルコ
6:14かくてイエスの名顯れたれば、ヘロデ王ききて言ふ『バプテスマのヨハネ死人の中より甦へりたり。この故に此等の能力その中に働くなり』 6:15或人は『エリヤなり』といひ、或人は『預言者、いにしへの預言者のごとき者なり』といふ。 6:16ヘロデ聞きて言ふ『わが首斬りしヨハネ、かれ甦へりたるなり』 6:17ヘロデ先にその娶りたる己が兄弟ピリポの妻ヘロデヤの爲に、みづから人を遣し、ヨハネを捕へて獄に繋げり。 6:18ヨハネ、ヘロデに『その兄弟の妻を納るるは宣しからず』と言へるに因る。 6:19ヘロデヤ、ヨハネを怨みて殺さんと思へど能はず。 6:20それはヘロデ、ヨハネの義にして聖なる人たるを知りて、之を畏れ、之を護り、且つその教をききて、大に惱みつつも、なほ喜びて聽きたる故なり。 6:21然るに機よき日來れり。ヘロデ己が誕生日に、大臣・將校・ガリラヤの貴人たちを招きて饗宴せしに、 6:22かのヘロデヤの娘いり來りて、舞をまひ、ヘロデと其の席に列れる者とを喜ばしむ。王、少女に言ふ『何にても欲しく思ふものを求めよ、我あたへん』 6:23また誓ひて言ふ『なんぢ求めば、我が國の半までも與へん』 6:24娘いでて母にいふ『何を求むべきか』母いふ『バプテスマのヨハネの首を』 6:25娘ただちに急ぎて王の許に入りきたり、求めて言ふ『ねがはくは、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて速かに賜はれ』 6:26王いたく憂ひたれど、その誓と席に在る者とに對して拒むことを好まず、 6:27直ちに衞兵を遣し、之にヨハネの首を持ち來ることを命ず、衞兵ゆきて、獄にてヨハネを首斬り、 6:28その首を盆にのせ、持ち來りて少女に與ふ、少女これを母に與ふ。 6:29ヨハネの弟子たち聞きて來り、その屍體を取りて墓に納めたり。
ヘロデ は ヨハネの正しい事を知っていたのですが 権力者達の 前では ヨハネを裏切り 彼を殺害する 命令を してしまいました
何を意味するか?
聖書を読み 教会などに 属していて 御言葉を喜んでいても この世の人達の間ではあっさり 否定しまったりするのは 留意しなければ 弱さのため だれしも 陥りやすい 事である。神の存在など この世のひとには 馬鹿馬鹿しい ことであろう!
話を 会わせ ついつい 摩擦を避けようと するあまり 同調した 発言行動を 取りたくなることがある
クリスチャン達 この様な時 はっきり 言えるか? 偶像を 拝む この世の人達のように 物言わぬ 者となっては いけない。
教会の内部でも同じである 背教の教えに対決出来るであろうか (第三の波など)
黙して 語らないなら 物言わぬ 偶像になるのである。
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キリストの救いには 大いなる力があります又罪は許され洗い流されます。
ここまでは クリスチャンなら ご存知のことです。 しかし 救われたあと どうなのか は
ご存知の方は少ないかと 思います。人は御子を信じる信仰により救われ 信仰の種がまかれます、 良い地にまかれた種が芽をだし実り 刈り入れのとき 収穫されます
実を結ばぬものや 悪い実として実るものは 火の中に放り込まれ 焼かれます。
ですから裁きに合わないためには良い実を結ぶ必要があります。
ですから実のらせるのは 信仰に伴う行動です 又からしだね ほどの信仰があれば
山でも動かせると 聖書にはあります。
ヤコブ1:22 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
1:23 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
1:24 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
又悪い木は斧で切られる とか 農夫が実を結ばぬ木を切るのを もう一年 待ってください と 嘆願しています。ですから 間違いなく 実らない木は 裁かれ火に投げ込まれるのです。 わかりやすく いえば 地獄に落ちる ということです。
しかしながら 今のキリスト教の主流では 救われれば必ず天国に行くと教えています
100人殺しても天国にいけるといっている 牧師まで います。
救いの後のことは 重要視していません これは サタンの罠であり 大多数の教会が背教に向かっています。
私の 言うことが うそ のように 思われるなら 是非聖書を読んでみてください
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以下の聖句マタイに書かれていること は 黙示録 11:3 にも 同じような事が 書かれています
17:1 それから六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネとを連れて、ひそかに2高い山へ1導いて行かれた。
17:2 すると、イエスは彼らの前で1姿が変わり、彼の顔は太陽のように輝き、彼の衣は光のように白くなった。
17:3 すると見よ、1モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
17:4 そこで、ペテロはイエスに答えて言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです.お望みでしたら、わたしはここに1天幕を三つ造りましょう.一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
17:5 彼がまだ語っている間に、見よ、輝く雲が彼らを覆った.そして見よ、雲の中から声があって言った、「1これはわたしの子、愛する者、わたしは彼を喜ぶ。2彼に聞け!」
17:6 弟子たちはこれを聞くと、顔を伏せて大いにおびえた。
17:7 イエスは来て彼らに触れ、そして言われた、「起きなさい.恐れることはない」。
17:8 彼らが目を上げると、1イエスご自身のほか、だれも見えなかった。
17:9 彼らが山を下っていた時、イエスは彼らに命じて言われた、「人の子が死人の中から復活させられるまでは、この1幻をだれにも告げてはならない」。
17:10 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「なぜ聖書学者たちは、1エリヤが先に来るはずだと言っているのですか?」
17:11 イエスは答えて言われた、「確かに1エリヤが来て、すべての事を復興する.
17:12 しかし、わたしはあなたがたに言っておく.1エリヤはすでに来たのだ.ところが人々は彼を認めず、好き勝手な事を彼にしたのである。このように、人の子も、彼らによって苦しみを受けようとしている」。
17:13 その時、弟子たちは、彼がバプテスマのヨハネのことを言われたのだと知った。
この御言葉から読み取れることはバプテスマのヨハネがエリヤの働きを する と書いてあります そして 彼は 首をはねられたのです。 同じく 黙示録 11章にもモーセと エリヤ が2本のオリーブの木 として 書かれています。彼等もバプテスマのヨハネと同じように殺されると書いてあります。
黙示録11:3 わたしは、わたしの2二人の証し人に、4荒布を着せて、3千二百六十日、予言1させよう」。
11:4 彼らは全地の主の御前に立つ二本の1オリブの木、また二つの2燭台である。
11:5 だれでも、彼らに害を加えようとするなら、火が彼らの口から出て、その敵を焼き尽くす。だれでも、彼らに害を加えようとするなら、必ずこのように殺される。
11:6 この二人は予言している日の間、天を閉じて雨が降らないようにする権威を持っている。また、彼らは水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ権威を持っている。
11:7 彼らがその1証しを終えると、アビスから上って来る2獣が彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
11:8 彼らの死体は、霊的な意味では2ソドム、またエジプトと呼ばれる1大いなる都の通りに置かれる。彼らの主も、その所で十字架につけられたのである。
11:9 さまざまな民族、部族、言語、国民の人々は三日半の間、彼らの死体を見ているが、その死体を墓に葬ることを許さない。
11:10 地に住む者たちは、彼らのことで喜び楽しみ、互いに贈り物をする。この二人の預言者は、地に住む者たちを苦しめたからである。
11:11 ところが1三日半の後、2命の息が神から出て彼らの中に入り、彼らは3自分の足で立った。すると、大いなる恐れが、彼らを見ている者たちに臨んだ。
11:12 二人の預言者は、天から大きな声が自分たちに、「ここに上って来なさい」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲の中で天へ1上って行った。彼らの敵はそれを見た。
エリヤ バプテスマのヨハネの働きは 道を平らにすること おかしくなった 教理など を正す ような リーダーが 現れます。
(第三の波の方たちではありません) 次に モーセの働きは 出エジプト です すなわち 艱難前軽挙説 セカンドチャンス論
悪霊のトロント ブレッシング など 間違った 道を エリヤがまっすぐ にし モーセが その様な 教会背教から 脱出させる という事を彼等はするために 来るのではないでしょうか。ですから 終末には このような 惑わしの働きの人 が 現れると 思いますので吟味しましょう。
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マタイ
9:32 彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしをイエスのところに連れてきた。
9:33 すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。
口のきけない人とはどのようなひとでしょうか、 私たちは教会に行っていますが おかしな 教理やメッセージに出会う事があります。
いつもながら ちょっと 変だなと 思ってそのまま にしていると いつの間にか その 教えを 受け入れていたり 勧められると うなずいてしまったり します。すなわち 仲間や家族たちで そういった話を して 整理して置かない と 間違った教えに引き込まれます。
ですからしっかりと~は間違っていると 言わなければなりません この口を失うと 偽りの道に 入り 永遠の命を 失うかもしれません。
口のきけない意味は偶像のようであると 聖書はいっています。
しかし 口に出して言うならまず 目が見えなければなりません 真実かどうか 見分けられ なければ なりません。
罪の温床から立ち上がり 自分を聖別した 生活をしなければなりません。
上辺だけで神を敬うクリスチャン達は いやな口 で あなたを 攻撃してくるか
いや おそらく 上品な言い回しで さげすんだ 言い方を してくる方が 多いかと思いますが、
おし にならないように しましょう
イザヤ:56:10
10 彼の見張り人は、目が見えない.彼らはみな、何も知らない.彼らはみな、口を閉ざされた犬で、吠えることができない.夢を見て、横になり、眠りをむさぼる者だ。
イザヤ:35:6
6 その時、足の不自由な人は鹿のように飛び跳ね、口の利けない者の舌は叫び声を鳴り響かせる.荒野に水がわき出し、砂漠に流れがあるからだ。
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マタイ6:1自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう
自分の栄光を語り 主の栄光を語らない人は 偽りで あります。 人の集団の中で生活している 私たちは 知らず知らず人に会わせてしまい 間違った 道を 進んでしまうことがよくあります。
主は神の教えを人の教えとすることを サタン とまで いわれています。
どのように 自分自身を 偽善者のようになってはいないか 確認する必要が あると思います。
その方法は 簡単で 聖書をよく読み 何が 主が 嫌いで 何を喜ばれるのか を自分の 心内 と照合すれば 良いのです
主が好きではないことを 自分は好んでいたり 妥協 しているようであれば 悔い改めなければ なりません
又どちらでも 無いものもありますが 発展してゆけば どうなるのかを 考え 注意を促す 必要があります。
よく教会での メッセージで 主はあなたを 愛しておられます。 と 繰り返しますが 確かにそれは 真実 でありますが
重要で 一番大事な 教えは 主を愛すること と あります。 ですから 本来は 主を愛しましょう と いう メッセージ に置き換えられなければ ならないのです。 主はあなたを 愛しておられます だけ で あれば 単なる 足なえ で 行動の伴わない 人に成り下がり ます。挙げ句の果てに 艱難前 軽挙説 (クリスチャンは艱難には遭わない)や 何をしても 許される説 などが 横行
し 人に好まれる メッセージ をする というような ていたらく な クリスチャンを 生み出しているのが 現状であります。
上記のことに 留意されながら クリスチャン生活を送られること が 主の御心で あると すべきではないかと 強くおもいます。
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出エジプト記 / 30章 34節 主はモーセに言われた。
この書き出しは何もここだけ ではありませんが 予言の原型であるとおもわれます。 御心を聞き どのような 言葉を示されるかを 聞き取ることが 必要です。
何かを 決断しようとし 行うときに 主は言われたと いい これが 出来るかどうかが重要ではないかと 思われます。
コツとしては 最初は 出来るだけ 静かなところで 集中し 主に問いかけると 思いの中に 示される と 思いますので よく 聞き分けてください。
ここで重要なことは 自分の思いと見分けなければ なりません 日ごろから 主の声を聞き 肉の思いがあれば 必ず 間違いを 起こします。
主の声を聞くためには聖別されたもの で なければ なりません。
:出エジプト記 / 30章 37節
同じ割合で作った香を私用に使ってはならない。あなたは、それを主に対して聖なるものとしなければならない。
出エジプト記 / 30章 38節
また、類似したものを作って、香りを楽しもうとする者は、すべてその民から断たれる。
ここで 重要なことは主へのささげ物などは 聖別し われわれの 日常のものなどとは 明らかに 別のものとし 恐れなくては ならない ということであります。世俗のレベルでもって ささげ物をするものは 民から絶たれる とありますので 恐れ 特別な事としておくべき です。
私たちは 日常から 汚れや 野心 など から 離れているべきです 又不必要なおしゃべり など 意味なく 慣習に従ったり していると
世俗的なもの になり 地に住む人と成ってしまいます 主の声を聞くことに 鈍くなり 遠ざかってしまいます。
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出エジプト4:10 モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。
4:12 それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。
4:15 あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、
4:16 彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、あなたは彼のために、神に代るであろう。
メッセージや説教というものもそうであるが、自分の言葉を語るのではなく 主が語られた言葉を 中心に告げる事であることが 大切です。主が語られる言葉を 聞く耳を持ってきくべきであります。
いわば 預言と 言葉がクロスオーバーしたような者であるべきです。人受けをよくしようとしても 意味がないことをよく 知っていただきたい。
私は最近忙しくても 時間を取るようにし聖書を読み主からの メッセージを聴くようにしています。
さすがに すぐには 無理ですが 書いていると 預言があたえられます。又御言葉を吟味しているうちに 解るようになってきました。
主の言葉が語られるべきであります。
又祈っていくと 後になって 語られる言葉が 解る時が よくあります。
私たちも、生活の中で よく祈り 主に交わり 御心と何をするべきかを 聞き取り 一日を送る 事が必要です。
又話すのが苦手でも 代わりの者がたてられ メッセージが伝えられると言うこともあります。からスピーチが下手だからといって 困ることはありません。
大切なのは 主の御心が私たちに語られますが 必ずどんな手段でも 伝えられると言うことです。
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